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唐松観音(唐松山 護国寺)
山形市馬見ヶ崎川の右岸にある曹洞宗の古刹で「山形十景」のひとつ。
平安時代の創建とされ、古くから霊場として栄えたと伝えられています。
堂は京の清水寺を手本とした県内唯一の懸崖造りの建物で、寛文元(1661)年、山形城主・松平下総主忠弘が「唐松山護国寺」と命名し、山形城の守護仏とされました。
山の中腹にあるその堂(舞台)からは山形市街を眼下に眺めることができます。
最上三十三観音霊場の第五番札所となっています。
おすすめポイント
■山号
唐松山
■宗派
曹洞宗
■御本尊
聖観世音菩薩
(弘法大師作と伝えられています)
■御利益
諸願成就
■由来・歴史
平安時代の正暦元年(西暦990年)、平清水の住人・森山氏の妻が戦死した夫の冥福を祈り、唐松山の岩窟に観音像を祀り、河岸に草庵を結んだのが始まりと伝えられます。
また、昔、清水観音のお告げによってはるばる羽州宝沢を訪れた京都の豊丸姫が炭焼藤太という青年と結ばれて夫婦となり、その幸せな生活は観音菩薩のおかげだと豊丸姫が京都から持参した念持仏を唐松山の岩窟に安置して祀ったのが始まりとも言われています。
[参考] 炭焼藤太伝説
*東沢地区振興会・東沢郷土研究会・山形市観光協会・東沢観光協会「東沢史跡探訪」第3版 2019.12より抜粋
上宝沢住吉神社にまつわる伝説によれば、平安時代の末期、出羽国宝沢の里に藤太という炭焼きが住んでおり、炭を焼いては遠く白岩や寒河江の里まで炭売りに行くのを仕事としておりました。その頃、京の一条院の豊丸姫が日頃信仰する清水の観音さまから、夫となる人は宝沢の住人藤太であるとお告げがあり、京から宝沢まではるばる遠い旅路を辿ってきました。その後二人は夫婦になりました。ある日妻は藤太に小判を渡し味噌をかってくるよう頼みました。炭を背負って藤太は途中、国分寺(千歳公園)の近くの池で鶫(つぐみ)を捕まえようと小判を投げつけたが、鳥にあたらず水中に沈んでしまい、米も味噌も買えず帰ってきました。妻からは小判は値打ちがあるものと教えられ、これまで見向きもしなかった裏山の金で藤太は、大金持ちになったという。
また、藤太には吉次・吉内・吉六という三人の子どもがいて、長男の吉次は京と奥州とを往復する金商人で、兄頼朝と不破になった義経を平泉の藤原秀衡のもとに案内したという。
山形市内を一望
山の中腹にある堂(舞台)からは山形市街を眼下に眺めることができます
地蔵尊 等
石鳥居の左手に延命地蔵尊、庚申塔、水神塔、音堂の下、参道左側に稚児地蔵尊、上方に水難除地蔵尊があります
初代鍋太郎
駐車場には 「日本一の芋煮会フェスティバル」で使用されていた大鍋「初代鍋太郎」が移設されています
基本情報
- エリア
- 山形市
- スポット名
- 唐松観音 (曹洞宗 唐松山 護国寺)
- 住所
山形市大字釈迦堂7
- 電話番号
- 023-641-6514023-641-6514
- 交通アクセス
JR山形駅よりバス(宝沢・関沢・防原行) 唐松観音下車、徒歩10分
- 駐車場
- 境内近くの唐松橋際、 大型・小型とも駐車スペース有り